企業理念
- 私たち水谷精工株式会社(MSK)は、日本が、世界に培った技術・信頼・信用を大切にし、ものづくりを通じて、社員はもとより、地域の人々、ひいては日本の人々の幸福と豊かな社会作りを目指します
- 労使相互の信頼、責任を基に、社員の創造力、チームワークを高め、また、お客様と共に研究、創造に努め、長期安定的な成長と共存共栄を実現し、ひいては、日本の国力の礎となることを目指します
- ものづくりを通じ、仕事に留まらず自信に満ちた、社会の次世代のリーダーを育てることを目指します
沿革
弊社は鋳物産業の盛んだった桑名の地において、昭和11年(1936)創業者である水谷光雄(みつお)が、主に軍事産業の部品を中心に操業開始。その後、戦火のため数度の移転、操業中止期間を経て、再び、桑名の地に於いて、水谷精工所として再開。
当時はNTN様を中心としたベアリングレース加工を主に商業していた。戦後復興、朝鮮戦争の時代背景下により、着々と業績を伸ばし、昭和27年には、ベアリング加工の元受として、多数の協力会社への振り分けを任されるまでになる。昭和27年1月、水谷精工有限会社を設立。水谷光雄が代表取締役社長就任。
昭和30年頃から40年の高度成長前半期の時代も主に、ベアリング部品加工、また、ベアリング計測器、ベアリング製作のための専用機製作を主とし、桑名市江場宮之島に本社移転、水谷精工株式会社と社名を改称する。
41年から後半期頃の少し前より、日本の高度成長期の波に乗り、商いの主体を国の根幹である鉄づくりの設備関係にシフトしていく。ベアリング部品製作によって培ってきた技術、経験を買われ、新日鉄製鐵所様、神戸製鋼所様をはじめ全国の高炉、電炉メーカーに可愛がっていただき、圧延機用軸箱(圧延チョック)、圧延機周辺設備等の仕事が増え、製品が大型にシフトしていった。それに伴い、昭和41年に大型工場を建設。
その後、昭和45年、50年、55年と受注増、製品の大型化により大型工場を三回拡張。
その後も順調に業績を伸ばし、従業員数120名~150名での商いが続く。
しかし、バブル崩壊後、弊社もその煽りを受け低迷期が続く。また、白物家電の設備事業の失敗も響き、平成6年に従業員40名程度にリストラを敢行。
それに伴い、平成7年1月、水谷好雄が会長に、弟の水谷昌白(まさあき)が代表取締役社長に就任し、経営方針を少数精鋭によりどこにも真似できない確かな技術を売りに、得意分野に特化し、海外からも多くの仕事を獲得し、順調に業績を上げる。
平成28年4月、水谷昌白が会長に、好雄の長男、水谷光大郎(こうたろう)が代表取締役社長に就任。
昌白の経営方針を引き継ぎ、新たに特殊鋼加工に特化。
長年培った精密軸受箱加工、様々な大物加工、新たに特化した半導体部品加工、特殊鋼加工、また、高度な技術を要する組み付け作業を得意とし、他社の追従を許さぬお客様の信頼を得て現在に至る。
水谷光雄が水谷鉄工所を設立、三重県桑名市江場において操業開始
三重県津市泉町に工場移転
大阪市港区東田中町に工場移転、水谷計測器と改称
三重県桑名市泉鍋屋町に工場移転
戦災にて操業中止
三重県桑名市泉鍋屋町において水谷精工所と社名を改称し操業を再開
上記場所に水谷精工有限会社を設立、資本金50万円となる
水谷光雄が代表取締役社長に就任
200万円増資 資本金250万円となる
三重県桑名市江場宮之島に本社工場を移転
水谷精工株式会社と社名を改称 資本金1100万円となる
大型工場建設(大型製品の生産開始)
大型工場増設拡張(第1回)
営業事務所建設
大型工場及び仕上げ工場増設拡張(第2回)
水谷好雄代表取締役社長就任
1100万円増資 資本金2200万円となる
大型工場及び仕上げ工場増設拡張(第3回)
検査工場拡張
水谷好雄が代表取締役会長に、水谷昌白が代表取締役社長に就任
200万円減資 資本金2000万円となる
水谷昌白が取締役会長に、水谷光大郎が代表取締役社長に就任
ターニングセンタ Neo α-28EX 導入
ISO9001:2015 認証取得
ISO14001:2015 認証取得